大学を卒業後15年間で3つの私立高校の教鞭を振るった保田隆は、ついに教師を辞めた。
理由は学校と言う組織が邪魔をし、画一的に物事を進めることが原因で、一教師として一人ひとりの生徒と接することができなかったから。「どうせこの先生に言ってもダメなんだ」
子どもの自分を見る目がそう語っていると感じた時、保田は学校現場を離れる決心をした。
学校を辞めて思い悩んでいた時、同志であり親友の"てんつくマン"こと軌保博光の「教師は学校にいなくてもできるじゃないか」という一言が保田を後押しした。それから保田は、学校の枠を越え、自分にしかできない教育を見つめなおすために、歌を歌いながらギター片手に全国を渡り歩くことになる。 しかし、それは同時に不安に苛まれる日々を送ることでもあった。
在職中に36歳で教師でありながら「不登校」になり、37歳で「パニック障害」になっていた保田は、この頃には極度の不安から「うつ症状」と診断されるほどだった。しかし、そんな状況の中で保田に生きる元気を与えてくれたのは、たくさんの心の病んだ子どもたちや、その親たちとの出会いだった。時には「保田さんに出会えたから、また生きれる!」という少女の一言が、保田自身にも「自分も生きていて良かった!」という気持ちに導いてくれた。頑張りすぎてしまって自分を見失い、自信をなくしてしまった人たちとも、たくさん出会った。
自分を責めて傷付き、苦しみの中で必死でもがいている人が、自分以外にもこんなにいるんだと痛感しながらも、そんな人たちから、たくさんの勇気をもらうことができた。そして自分の生きる意味、真の自分らしさを気付かせてもらったと今、心から感謝している。
自分の生き様に触れて前に歩み始めた子どもたちを見たときの感動は絶対に忘れられない。
そして、そんな色々な出会いによって、保田自身が心の片隅に置き忘れていた「シンガーソングライターになる」という夢を追い続ける姿を子どもに見せ続けること、そして、学校の枠から外れた子どもたちをリセットさせるため自分にしかできない教育を追求することこそが、「自分がこれからやるべきことだ!」と気付くことができた。それは同時に「教師であり、シンガーソングライター 保田隆」の誕生の瞬間でもあった。
それからライブ活動や講演を通じて直に子どもたちと膝を交えて話をする活動が始まった。不登校になった子、心や体にハンデを背負っている子、そんな子どもたちと互いに心底すべてをさらけ出して、触れ合えたときは、涙があふれてとまらなかった。 自分の生き様に触れて前に歩み始めた子どもたちを見たときの感動は絶対に忘れられない。「人間愛」まさにこれこそが教育の本質だと改めて思い知らされ、これが保田流教育の原点となった。
そんな子どもたちと触れ合う毎日の中で、「不登校やひきこもりの子どもたちをリセットする学校を作りたい!」という夢が保田の中に芽生えた。そんな時出会ったのが、不登校や高校中退で通信制高校に在籍する生徒が通うサポート校であるKTC中央高等学院。ここでは、実社会で活躍する様々な方々を講師に迎え、社会全体が教室でありグランドという考え方を実践していた。そんな講師たちと接することが、子どもたちの真の生きる力を育む礎になり、自分の目標を見出すきっかけにもなっていた。この既存の学校では学べないことを実社会の方から学べる環境こそが、教育者としての今の「保田隆」を確立するに至った。
学校教育で大切なのは、子どもたちが社会の中で生きる力をどう育てていくか、どれだけ人間力を磨けるかと言うこと。つまり「心」が常に教育の中心になければならない。そのためには教師一人ひとりが一人の人間として、生徒と真剣に向き合うことが大切。現在のフリースクール「プロローグ」でも、スタッフが一丸となって、日々、子どもたちと向き合う姿を見ることができる。
0歳から100歳までが共存できるコミュニティーを各地に再生し、地域全体で子育てを資本主義のシステムが定着し核家族化の進んだ現在とは異なり、少し前までの日本の農村では、地域コミュニティーが助け合いながら、大事な将来の働き手として子ども達を育ててきました。当時の子どもを産める世代は、男女ともに農作業においても一番の働き手を担っていましたので、実際に子育てを行なっていたのは農作業の戦力には計算されにくい、祖父母や未成年の兄姉が交代で当たっていました。その関わりの中で、祖父母からは先祖から脈々と受け継いだ伝統や知恵、兄姉からは遊びや読み書きなども自然と学んでいきました。つまり、当時の子どもは実際の親からだけでなく、他の子ども達と兄弟のように一緒に親代わりの人達から愛情を注がれ、そこで集団の中で生きていくための様々な知恵を学び育ちました。つまり、コミュニティー全体で育てることで農作業の生産性を維持しながら、将来の農作業の担い手も育成する理想的な環境を作っていたと言えます。だから、昔の農村で育った子どもはおおらかに育ち、人の道を外れたりすることも少なかったとされています。 共育ファシリテーション「プロローグ」も、この古き良きコミュニティーを各地に再生し、地域全体で子育てをすることで、不登校児童・生徒をなくしたいと考えています。それには、地域の学校やPTAだけでなく老人会や 福祉施設、幼稚園、保育園など世代を超えたそれぞれの組織が、昔のような密接な関係を持ち「共育」して行くコミュニティーへと進化していかなければなりません。それらの各組織の接着剤役を「プロローグ」は担っていき、関わる全ての人や組織、団体がいい方向へ進んでいけるお手伝いができればと考えています。
学校の体裁だけを考えて「学校の決まりだから従え!」では多感な子どもたちは絶対についてこない。大切なのは、教師が身体を張ってでも、一人のおとなとして子どもと向き合うことができるかということ。
それが伝われば必ず子どもは心を開く。
子どもたちはみんな輝きたいという願望を持っていて、そのきっかけをみんな探している。保田流教育を理解していただける人の輪を広げ、そのきっかけを与えられるおとなが多くなればなるほど、不登校やひきこもりといった問題は、絶対になくなっていくと保田は確信する。
「おとなが変われば、子どもも変わる。社会が変われば、学校も変わる。」
この言葉を胸に、保田は今日も子どもたちと向き合う。